海外の犯罪ドラマは、本当に素晴らしいです。
被害者はもちろん、加害者や周囲の心理を見極めてリアルに描写されています。犯罪者も人間であることを強調し、被害者の憎しみも強調し、望まない結末を迎える現実的な場面までも強調します。
日本人だけに限らず、多くの人はハッピーエンドを考えやすく、出来るだけ多くの登場人物が救われる物語が好きだと思います。しかし、現実的に考えると、ドラマで理想の物語ばかり見せられていては、理想ばかりが追い求められ、現実と理想の差に大きく悩んでしまうのではないでしょうか。ドラマの中が全て正しい訳ではない。そう気付いた頃には、どうしようもないほど遅い時期になっている人もいるように思えます。現実的なドラマほど、人生への教訓にちょうどいいのかもしれません。
『だれもが犯罪者になる資質はある』
私はそう考えています。信じています。揺るぐことのない信念です。
どんなに正義を信じる人も、平和を愛する人も、恐怖で震える人も、スイッチが入れば何でも行うでしょう。そもそも人間は「動物」です。理性で感情をコントロールしているだけであり、その理性が無くなれば、どんな人物であろうと豹変するのです。人によっては、理性が家族や恋人だったり、物や思い出だったり、様々だと思います。それらが壊れてしまえば、あっけなく理性は無くなります。その後は、憎悪に支配されるだけです。そして、憎悪は壊した原因へと向けられるのです。
法律などあっても無駄ではないかと、私は思います。ただ、これは「法律は無くてもいい」という主張ではありません。あるに越した事はありませんので。コントロール出来なくなった感情は、法律を超えて憎悪をぶつけてくることでしょう。
犯罪者の中には、法律を逆手に取る人もいます。良心の呵責や罪悪感が無い人もいます。彼らは本来の人間いわゆる野生の人間に思えてなりません。理性を取り払えば、私たちは犯罪者と同じなのではないでしょうか。恐ろしい話ですが、そう思えて仕方がないのです。
この海外の犯罪ドラマには、知的障害者が犯罪者として描写される事があります。知的障害者は、脳に欠陥があり成長した身体に知能が追いついていない人のことです。もっと分かりやすく言うと、「子どもの心を持った大人」です。彼らは犯罪の片棒を担がされやすいそうです。自分が悪いことをしているのか理解していない上に、状況を把握できず説明も上手くできない。多くの犯罪者は、彼らに片棒を担がせたあと彼らに罪を着せて逃げるケースが多いのではないでしょうか。
また、トラウマから他人を殺害していく犯罪者もいます。彼は、自分の妻を殺したと思われる車と同じ車に乗っている人を次々と轢き殺しました。しかし、事実は悲しいものでした。事実を思い出した彼は、トラウマによる妻の妄想と共に崖から飛び降りました。妻の遺品であるネックレスを握り締めながら。生きていても死んでも救われない結末に、涙を抑えられません。被害者も加害者も救われない結末ですが、とても現実的で納得してしまいました。だからこそ面白く、いつまでも続いてほしいと思えるのかもしれませんね。